毎年6月下旬になると,スーパーやコンビニでは早くも「土用の丑の日」に向けて鰻の予約がはじまる。「土用の丑の日」は日本中で鰻を食べる一大イベントと言っていいだろう。では,いつ頃から真夏に鰻を食べるようななったのかご存じだろうか。この記事では,夏場に鰻を食べる習慣はいつ頃から始まったのか探っていきたいと思う。
土用の丑の日とは
土用(どよう)とは五行に由来する雑節に1つで,四立(立夏・立秋・立冬・立春)の直前の18〜19日間を指す。俗には,夏の土用(立秋直前)を指すことが多い。各土用の最初の日を土用の入り,最後の日は節分と呼ぶ。丑の日(うしのひ)は十二支に基づく日付のことである。このため,夏以外の季節にも土用の丑の日は存在するが,一般的に土用の丑の日(どようのうしのひ)は,夏の土用の期間にある丑の日を指し,土用の丑や土用丑とも呼ばれる。
「土用の丑の日」は1季節で2日生じる場合もある。1季節で2日存在する場合には1日目を一の丑,2日目を二の丑と呼び分けられる。春は「い」,夏は「う」,秋は「た」,冬は「ひ」の付くものを食べる習慣がある。特に,夏の「土用の丑の日」に食べる鰻を土用鰻ともいう。
“土用の丑の日”に食べる鰻は江戸時代のキャッチコピーに始まった

夏の「土用の丑の日」に鰻を食べる習慣は,江戸時代後期・安永・天明の頃(1772年から1788年頃)に始まったとされるが,もともと丑の日には「う」の付くものを食べるという習慣があり,うどんや梅干し,瓜などを食べる地域もある。
「土用の丑の日」に鰻を食べる習慣についての由来には諸説あるが,「平賀源内(ひらが げんない)が発案したことに由来する」という説が最もよく知られている。平賀源内説の内容とは,「夏場に売り上げが落ちた鰻屋に『本日丑の日』と書いて店先に貼ることをすすめたところ,その鰻屋は大変繁盛。次第に江戸市中の鰻屋も同様の広告を出すようになり,土用の丑の日に鰻を食べる風習が定着した」とされている。
前述のとおり,もともと丑の日に「う」の付くものを食べると夏バテしないと考えられていた。鰻屋の店頭に貼られた「本日丑の日」のキャッチが江戸市民に受け入れられたのだろう。ただし,平賀源内説の明確な根拠となる一次資料や著作は,現在のところ発見されていない。おもしろい話であるが根拠がないのは残念である。
暑い時期に鰻を食べる習慣は古代まで遡る

「土用の丑の日」に鰻を食べる習慣は江戸時代に始まったとされるが,夏の暑さに対する滋養強壮として鰻を食べる習慣は古代まで遡る。万葉集の編纂にも携わった奈良時代の歌人・大伴家持(おおとものやかもち)も、鰻に関する歌を残しているので見てみよう。
石麻呂に われ物申す 夏痩に良しといふ物そ 鰻取り食せ
大伴家持(万葉集・三八五三番歌)
痩す痩すも 生けらばあらむを はたやはた 鰻を取ると 川に流るな
大伴家持(万葉集・三八五四番歌)
これらは,家持の友人である,石麻呂(いわまろ)に詠んだ歌である。石麻呂の本名は,吉田老(きったのおゆ)という。石麻呂という人物は,飢えた人のようぶガリガリに痩せていたと伝わる。1首目は「石麻呂さん,夏痩せには鰻を獲って食べるといいよ」,2首目は「痩せていても,生きているほうがいい。鰻を捕ろうして川に流されるなよ」といったところだろう。一見すると,家持が石麻呂をからかっているようにも読み取れが,冗談が言い合えるほど親しい間柄だったのだろう。これらの歌から,実際のふたりはどのような関係だったのか,想像を膨らませてみるのも面白い。
それはさて置き、これらの歌から遅くても奈良時代には、夏の栄養源として鰻を食べていたことがわかる。
うなぎも供養するの?

「うなぎ供養」を聞いたことはあるだろうか。日本では古来より,刃物供養祭や針供養,人形感謝祭など,使えなくなったや不要となった日用品をそのまま捨てるのではなく,さまざまなものを供養してきた。近年ではソニーのaiboのような娯楽用ロボットも供養するという。物には霊が宿るという日本人特有の考え方が元になっているためだろう。
この考えは日用品だけでなく,動物に対しても同様である。食肉関係のビジネスを行っている企業や農協では,牛や豚,鶏などの家畜を供養する「畜霊祭」を行っていることは有名だ。
鰻も例外ではない。鰻と縁の深い寺社では,鰻料理が名物となっている専門店,鰻に関わりのある商売を行っている方々が参列し「うなぎ供養」が行われている。一例として成田観光館ではうなぎ祭りの初日に「うなぎ供養・放生会」が執り行われ,成田山新勝寺の僧侶の方々による供養法会のあと,観光協会の方や鰻料理専門店らにより活鰻が放生される。
鰻を食べない地域もある?

ここまで,土用の丑の日と鰻について述べきた。全国各地には,鰻料理を名産とする地域がある一方,鰻を禁忌とする地域もある。
「鰻は虚空蔵菩薩の使者や化身である」という信仰から,虚空蔵菩薩を祀る地域および丑・寅年生まれの人は鰻を食べないという風習は日本全国で数十ヶ所で聞かれる。埼玉県三郷市(彦倉地区)でも「秋の大雨が数日間続き,古利根川(中川)の堤防が決壊。『助けてくれ』という叫び声が聞こえたため,探しに出ると子どもや老人が太い丸太のような物に掴まり,洪水の難を逃れていた。よくみれば,それは丸太ではなく鰻の大群で,多くのひとの命が救われた」といった話が伝承として残っており,現在でもその言い伝えを信仰し鰻を食べない家もあるという。
日野宮神社の氏子地域である,東京都日野市(四谷地区)にも鰻を禁忌とする風習が残る。諸説あるが「近くを流れる多摩川が洪水を起こしそうになった時,鰻が堤にできた穴を埋めて防いでくれた」「薬師堂に安置してある勢至菩薩の召使いが鰻である」「日野宮神社に祀られている虚空蔵菩薩(本地仏)の召使いが鰻である」と伝わる。
美味しいうなぎが食べられる街として知られる栃木県栃木市も,古来は絶対に鰻を食べることはなく,鰻を大切にしてきた。その風習は明治の中頃まで残っていたと伝わる。また,お布令で鰻を捕ることを禁じられていたため,どの川にも沢山の鰻が泳いでいたという。同市に鎮座する太平山神社には,鰻が神様を乗せて大平山に連れてきたという伝承が残されている。現在でも太平山周辺では,神様をお乗せする神聖な生き物として,鰻を食べないという家も残っている。
まとめ
この記事では,夏場に鰻を食べる習慣はいつ頃から始まったのか探ってきた。醤油と鰻の脂が焦げた香ばしい匂いは,食欲が落ちる夏場には最適なご馳走だろう。今年も,おいしい鰻を食べて暑い時期を乗り切りきりたい。