「東急線花御朱印巡り」☆城南地区のパワースポットに行こう♪

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こんにちは。masART STUDIO のカワグチです。秋のお彼岸も過ぎ,朝晩は清々しい風を感じる季節となりましたが、読者諸兄姉におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。ところで令和4年(2022年)4月29日より,期間限定で開催されていた東急線花御朱印巡りもいよいよ今月末で終了。残り1ヶ月となりましたが,行楽には絶好の季節。この機会に,御朱印巡りに出かけませんか。この記事では,筆者が巡った寺社をご紹介します。

目次

「東急線花御朱印巡り」とは

全国各地の寺社では参詣の証しとして御朱印をいただくことができます。東急線では期間限定で「花御朱印巡り」を開催中(令和4年10月31日まで)。「花御朱印巡り」に参加している寺社に専用御朱印帳を持参すると花御朱印をいただくことができます。

花御朱印とは,「東急線花御朱印巡り」限定の花をテーマとした(花びらが印刷された)御朱印です。花びらの色はピンク,青,黄,紫の4種類。原則として色を選ぶことはできないので,何色の御朱印になるかはお楽しみに。なお、別途御朱印代が必要となります。

専用御朱印帳は公式サイトもしくは,東急線の18駅で購入することができます。

専用御朱印帳には対象の寺社が掲載されているガイドブックが付いてきます。一部の寺社では,ロスフラワーを使用した花手水も開催中です。

長尾山妙楽寺

川崎のあじさい寺として親しまれている長尾山妙楽寺さんには6月末にお邪魔しました。妙楽寺さんは,川崎市多摩区と宮前区の境界付近に広がる長尾丘陵に位置する天台宗の寺院です。境内では,28種類1000株の美しいあじさいが出迎えてくれ,毎年6月の第3日曜日には「長尾の里 あじさいまつり」が開催され多くの参拝者が訪れます。

手水舎を覗いてみると…。ロスフラワーを活用したという、花手水になっていました。

境内の散策路もあじさいでいっぱい。丁度,見頃を迎えていました。

アクセス

長尾山妙楽寺
〒214-0023 神奈川県川崎市多摩区長尾3-9-3
JR南武線「久地駅」下車徒歩20分

池上大坊・本行寺

日蓮宗本山本行寺さんには邪魔したのは7月下旬。本行寺さんは,日蓮聖人が御入滅なされた地。弘安5年(1282年)9月8日、日蓮聖人は常陸国での湯治療養などのため身延山久遠寺を後にされ,同月18日,武蔵国千束郷池上(現在の東京都大田区)にあった池上宗仲の館にお着きになりました。しかし,衰弱が進んでそれ以上の旅は不可能となり,宗仲邸で療養に努めながら生涯最後の20数日間を過ごすこととなります。

本行寺の起源は池上氏館内にあった法華堂とされています。池上宗仲が日蓮聖人の御入滅の後、日朗の弟子・日澄に館を寄進して、本行寺の開創となりました。隣接する池上本門寺の子院(末頭)のなかでも特に格式の高い、池上三院家の筆頭として「大坊」とも呼ばれています。正面の赤門はその証しとして、本行寺の格式の高さを示しています。

境内には,お会式桜(日蓮聖人が御入滅なされたとき,庭先の桜が季節外れの花を咲かせたと伝わります。お会式の万灯に桜の花を飾るのはこの故事が由来。現在も日蓮聖人が御入滅なされた旧暦の10月になると花を咲かせます)や,御硯井戸(日蓮聖人が身延からご到着なされた翌日,この井戸の水で墨をすり9年の間庇護された南部実長に礼状したためられたと伝わります)などの見どころも。日蓮聖人のご命日あたる10月11日〜13日には「お会式」が執り行われます。

お土産で買った大坊せんべい(5袋入り500円)。池上家の家紋である雁金(かりがね)の焼印が記されています。やや固めの,甘みのある素朴な味わいのせんべいです。

アクセス

池上本門寺から本行寺へのアクセスは、大堂(祖師堂)裏にある大坊坂を下りて右手。大堂から徒歩で約5分。

日蓮宗本山 池上 大坊 本行寺
〒146-0082 東京都大田区池上2-10-5
東急池上線「池上駅」下車徒歩10分
都営浅草線「西馬込駅」下車徒歩10分
https://www.hongyozi.or.jp

池上本門寺

池上本門寺さんにお邪魔したのは,前述の本行寺さんと同じく7月の下旬。池上本門寺さんの正式名称は「長栄山大国院本門寺」。弘安5年(1282年)9月8日、日蓮聖人は常陸国での湯治療養などのため身延山久遠寺を後にされ、同月18日、武蔵国千束郷池上(現在の東京都大田区)の池上宗仲の館にお着きになりました。しかし、衰弱が進んでそれ以上の旅は不可能と察した日蓮聖人はここを最後の居地と定め、池上宗仲邸の裏山に建立された一宇を開堂供養し長栄山本門寺と命名したのが池上本門寺の起源といわれています。

同年10月13日に日蓮が入滅すると、池上宗仲は法華経の字数に合わせて69,384坪の土地を寺領として寄進され、以来「池上本門寺」と呼ばれるようになりました。池上氏館の居館部分は本門寺西側の谷の一帯に位置し、現在は池上氏館内の法華堂を起源とする本門寺の子院・大坊本行寺の境内となっています。

総門(元禄年間の建立)や,五重塔(関東に現存する最も古い五重塔。江戸幕府2代将軍徳川秀忠の乳母である岡部局の発願により慶長12年に建立)など,昭和20年(1945年)4月15日の戦災を免れた貴重な古建築が残ります。

毎年10月11~13日に行われる御会式では、30万人(多い年は100万人近く)が参詣に訪れ、街全体が大いに賑わいます。この3日間で池上地区の商店街における年間売上の半分を占めると云われ、本堂から参道およびその周辺、池上駅前の商店街に至るまで広範囲にわたって多数の屋台が出店されます。

アクセス

日蓮宗大本山池上本門寺
〒146-8576 東京都大田区池上1-1-1
東急池上線「池上駅」下車徒歩10分
都営浅草線「西馬込駅」南口下車徒歩12分
https://honmonji.jp/index.html

千束八幡神社

千束八幡神社さんにお邪魔したのは8月の下旬。洗足池の西岸に鎮座する神社で,創建は貞觀2年(860年)。宇佐八幡の分霊を八幡山の千束神社に勧請奉斎し,武蔵国荏原郡千束郷の総鎮守となります。

10世紀前半,平将門の乱を平定するため関東に派遣された藤原忠方(池上宗仲の祖先とされる)が洗足池を気に入り,千束八幡を氏神としてこの地に残ったと伝わります。もし、藤原忠方が千束郷に残らず京に戻っていたら池上本門寺や,洗足池の東岸に位置する御松庵(袈裟掛けの松)は建立されることなく,池の名称も「千束池」のままだったかもしれませんね。

その他,奥州討伐へ向かう源義家や,安房国から鎌倉へ向かう途中の源頼朝の伝承もこの神社に残されています。頼朝が鎌倉へ向かう途中,千束池の畔に陣を張っていたところどこからか野馬が現れたと伝わります。これを郎党が捕らえ頼朝に献上。身体に浮かぶ白い斑点が池に映る月影のようだったことから「池月」と名付け,頼朝の愛馬となりました。「池月」を得たことは平家征伐軍の成立の吉兆であるとして征旗を高らかに掲げたという故事から,千束八幡神社は「旗上げ八幡」とも呼ばれています。

アクセス

千束八幡神社
〒145-0063 東京都大田区南千束2-23-10
東急池上線「洗足池駅」下車徒歩6分

雪ヶ谷八幡神社

雪ヶ谷八幡神社さんにお邪魔したのも8月下旬。東京都大田区の西北部に鎮座します。創建は永禄年中と誌され,太田道灌の曾孫・太田新六郎が管内を巡視した際,当所に於いて法華経曼荼羅の古碑を発掘したことにより,めでたい事の前兆として八幡大菩薩を創祀したと伝わります。

御朱印を拝受したのはお祭りの奉納金を納めに行ったとき。雪ヶ谷八幡神社では、ピンク、青、黄、紫の4種類の花御朱印の他に東急から許可をとったオリジナルの花御朱印もありますよ(好きな色を選びことができます)。雪ヶ谷八幡神社のお祭りは9月中旬。祭礼日では特別な御朱印を頒布しているそうです。

雪ヶ谷八幡神社の境内

雪ヶ谷八幡神社の境内には,昭和の大横綱・大鵬の揮毫が元になった「出世石」や,大田区文化財の指定を受けた「庚申供養塔群」などの見どころもあります。

大鵬関が,納谷と呼ばれていた序二段の頃,神社の境内で氏子の子供達に相撲の稽古をつけていました。昭和34年(1959年)雪ヶ谷八幡神社社殿の御造営が完成して、初めての節分祭に年男として参加。それ以来,横綱に至るまで毎年節分祭に御奉仕をしたといいます。異例の出世をとげ、「不世出の大横綱」と称えられた大鵬関は「これは雪ヶ谷八幡神社の御加護の賜物である」と感謝し、『出世石』と書いた書を奉納します。それを、氏子の人々が石に刻み現在の『出世石』が出来きました。境内に遊びにきた子供たちは『出世石』に刻まれた「手形」に手をあて,その大きさに驚嘆しています。

社殿の左手奥には大田区文化財にしていされた,庚申供養塔群があります。もともとは,雪ヶ谷村の村民によって村内各所に建てられていたものをのちに当社境内に移されたもので,元和元年(1681年)から安政4年(1857年)迄の間に造立された七基でいずれも石造駒型の供養塔です。休日には史跡めぐりの人達が訪れ賑わいを見せるなど,この地域における民俗信仰を研究する上で重要なものとなっています。

アクセス

雪ヶ谷八幡神社
〒145-0065 東京都大田区東雪谷2丁目25-1
東急池上線「石川台駅」下車徒歩2分
https://yukigaya.info/gyouji/gyouji.html

まとめ

この記事では,「東急線花御朱印巡り」に参加する寺社のうち,筆者が実際に巡った寺社をご紹介しました。詳細は,株式会社オマツリジャパン様の「マツログ」に寄稿しております。こちらも合わせご参照いただければ幸いです。最後までご覧いただきありがとうございます。

株式会社オマツリジャパン

日本初のお祭り専門会社。日本には約30万件の祭りがあると言われています。「株式会社オマツリジャパン」は、お祭りを盛り上げ,各地の抱える社会課題を解決,希薄になっていく地域コミュニティの改善を目指していきます。
公式サイト:https://omatsurijapan.com

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この記事を書いた人

1969年,東京生まれ。ライター。写真家。美術家。masART STUDIO主宰。東京の郊外を拠点に活動。Webメディアで執筆の傍ら,人工構造物をモチーフとしたフォトモンタージュ作品を制作する。目標は,ダイエットと,ITリテラシーを高めること。

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